僕と彼女とでんぱ組.incの832日 #3 存在
ども! 元ココロのひきこもりで、でヲタのわっしー.inc です
「僕と彼女とでんぱ組.incの832日」今回で3回目の投稿になるのですが、すみません今回もまだ本題の832日に突入していません.....
だいぶ近づいてはいるのですが、また今日もそれ以前の出来事のお話しを書かせていただきます。ホントすみません
それでは、話しを進めさせて頂きたいと思います
今日は僕が彼女と初めて会話をした日から1ヶ月半ほど前の話し、僕の名前というか存在が彼女の日記に初めて出てきた時期のお話しです
日記に記されていた日付は2016年7月18日(月)でした
「いつも奥の席に1人離れて座っている はじっこさん 最近見かけないな」
これ多分、多分ですけど僕の事です
このたった1行の文章を見つけ始めて読んだときは正直とても嬉しかったです
僕が思っていた以上に彼女は僕という存在を認識してくれていたんですね
次に書かれていたのはその3週間後 2016年7月25日(月)
「今日もはじっこさん 来なかったな 飽きられちゃったのかな?」
彼女のこの数週間に渡る日記を読ませてもらったことで当時の記憶が蘇ってきました
彼女のピアノを始めて聴き、楽しそうに弾く姿を見て一瞬でファンになってしまった2ヶ月前から毎週月曜日には欠かさずお店に足を運んでいた僕がなぜこの時期、いきなり通わなくなってしまったのか
実はその年 2016年7月1日の早朝 父が脳梗塞で倒れ入院をしました
幸いすぐに異変に気付き病院にかけ込んだので程度としてはそれほど重症というものではありませんでしたが、入院は1ヶ月以上におよびました
でも、その看病が大変でお店に通う事ができなかったというわけではなく、もちろん彼女のピアノが飽きたからなんて事は全くありません
ただ、単にいろいろな事が余りにも重なり気持ちの整理がつかなかったからです
父の病状は決して重いと言うほどのものではありませんでした
ただ、やはり脳梗塞という病気はそんなに軽いものでもありません
母と一緒に医師から父の病状、そして今後の症状いわゆる後遺症の説明などを聞きました
頭の中の映像(MRI?CT?)を見せていただいたのですが、右側の血管1本は完全に詰まった状態で、左側の血管はとても細い状態になっていました
それでも後遺症としてはあまり厳しいものは出ないと思うと言われ、母と一緒にホッとしたのを今でもハッキリと覚えています
でも、やっぱり後遺症が全く出ないなんて事はありえないんですよね
10日から2週間がたった頃でしょうか、父はリハビリを始める事になりました
そのリハビリに何度も付き添い様子を見ていたのですが、簡単な数字遊びというか知能テストに出てくるような本当に簡単な問題をあたえられ行っていたのですが、まったくと言っていいほどペンが進まないのです
軽い記憶障害も同時に出ていました。今日が何日で何曜日なのか、朝に何を食べたのか、リハビリ室から自分の病室までの行き方、帰り方も迷ってしまう
ほんの数日前まで本当に元気で毎日のように公園に行きパークゴルフを楽しんでいたアクティブな父の面影はそこには全くと言っていいほどありませんでした
それでも僕と母はそれを病気の後遺症とは認めたくはなくて
「父さんももう結構な年だからね」
「もともと数字とか計算苦手だったじゃん」
「方向音痴で運転してても良く道間違えてたよ」
そんな事を言って今の父の現状を否定し続けました
父は絶対に良くなる! 前と変わらずに元気な姿に!
そう信じて出来る限りリハビリにつきそいました
そんなこんなで時間もたち1ヶ月ちょっとで退院することが出来ました
歩いて帰りたいという父の希望を聞き入れ、母と3人で病院から家まで歩きました
病気になる以前の元気な父なら15分くらいの道のりです
しかし左足が思うように前に運べない今の父の歩く速度に合わせ歩くと倍以上の時間がかかりました
しかもその距離を歩いただけで相当疲れたようです
「今だけだ。また以前のように元気な父に戻るはずだ」
と僕は父の姿を観ながら必死に自分に言い聞かせていました
そんな事もあり、その時の唯一の癒しの時間であった
「彼女のピアノを聴きに行く」
ということが難しくなっていたんですが、事態はさらに悪い方へと向かっていきます
なんか流れがよくない時って全てが良くない方へすすんでいくんですよね
でも、もしもあの夏こんな曲と出会うことが出来ていたらその後の悪い流れも良い方に向かうことが出来ていたかもしれません
そう この曲のタイトル通り「プレシャス」な夏に.....